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医療観察法とは何か?

渡邊哲雄 (精神科医)
2007年7月1日


 医療観察法とは、罪を犯した精神障害者を、特別の治療施設に隔離して特別に治療し、再び罪を犯すことのないようにするという法律です。そんな考えが正しいのか、またそんなことが可能なのか、またどんな結果が予想されるのか、疑問の多い法律です。

「罪を犯した精神障害者」といっても、そのすべてではなく、とくに重大な罪を犯し、犯行時に心神喪失または心神耗弱の状態にあった精神障害者を対象とします。

法の正式の名称は「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」といいます。平成15年7月に成立し、17年7月施行されました。

「心神喪失」とはどういうことでしょう。

刑法第39条は、心神喪失者の行為は罰せず心神耗弱者の行為は刑を減軽すると定めています。いいかえますと、精神障害の症状(たとえば幻覚や妄想など)のために善悪を判断する能力がなくなっているか、あるいは判断に従って行動する能力がなくなっている場合は罪を科さず、この能力が減弱している場合は減刑することになります。この規定は現行刑法の大きな原則の一つです。

また法の「重大な他害行為」とは、殺人、強盗、傷害、傷害致死、強姦・強制猥褻、放火の6つを指します。「医療および観察」とは「指定医療機関」という特別の精神科病院と精神科外来において一定の期間強制的な入院治療および通院治療を受けることをいいます。

強制的な入院治療については、すでに精神保健福祉法に定められた措置入院や、医療保護入院などの仕組みはあるのですが、これに加えて触法精神障害者に対するこの特別の法律が制定されるきっかけになったのは、大阪府池田市で発生した悲惨な事件でした。

それは2001年6月に発生した大阪教育大付属池田小学校児童殺傷事件です。学校に乱入した男が包丁を振り回して児童と教師の23人を殺傷した事件は社会を震撼させました。犯人に精神科治療歴があることがわかると、一部の週刊誌をはじめメディアは一斉に「危険な」精神障害者に対して医療が治療責任を果たしていないと批判し、精神障害者を野放しにする「人権派精神科医」が問題であるといい、触法精神障害者に対しては特別の治療施設が必要であると主張しました。

政府も、首相の指示にもとづいて、厚生労働省と法務省が合同で検討した結果、異例の短期間のうちに法案が作られ、国会に上程されました。国会では、当事者、家族会などの反対運動、また福祉関係者、法律家、医師など専門家による批判の集中を受けて、与野党間で通常以上の時間をかけた審議が行われましたが、最終的には与党の強行採決で可決成立しました。

一方、児童殺傷事件の裁判は、現行犯逮捕された犯人の犯行事実についての争いはなく、もっぱら犯行の動機、犯人はいかなる人物であるのかという点に審議は集中しました。2つの精神鑑定書が提出され、犯行時の責任能力を認める点で両鑑定の結論は一致し、法廷はこれを採用して死刑を宣告し、刑はこれまた異例の早さで執行されました。

この裁判結果からすると、この犯人の犯行時における心神喪失も心神耗弱も認められなかったのですから、事件後成立した医療観察法もこうした犯罪の防止に寄与する可能性はまったくないことになります。

本来はこの不幸な事件のケースについて、事件に至る経過のなかで精神医療はどのように提供されたのか、暴行傷害など過去に犯した複数の事件の中に簡易鑑定により不起訴とされたものがあったのは妥当だったのか、医療の範囲と司法の範囲のありかたは適切だったのか、簡易鑑定のありかたと検察官の判断についてどんな問題があったのかなどが検討されるべきだったのでしょうが、死刑判決と早期執行はその機会を奪ってしまいました。

検察官は事件についてこれを起訴するか否かを決定する権限を与えられています。精神障害者の犯罪であることが疑われると通常検察官は「簡易鑑定」といわれる起訴前鑑定を精神科医に依嘱します。鑑定は犯行時の精神状態と、訴訟能力について問われます。つまり犯行時の責任能力に問題がなかったかどうか、またその後の精神状態が裁判の進行に耐えられるかどうかを調べるのです。

簡易鑑定で責任無能力とされた場合はほぼすべてのケースが不起訴にされ、限定責任能力とされた場合は約6割が不起訴とされるといいます。簡易鑑定の鑑定内容のレベルの差は大きく、きわめて杜撰なものから本鑑定に近い詳細なものまであり、また鑑定医の経験知識もまちまちです。また各地方検察庁により鑑定結果やその運用のありかたにバラツキがあり、とくに限定責任能力についての最終判断については共有する判断基準もなく個々の検察官の恣意にゆだねられています。(*1)

起訴後の有罪判決の率を高くしたいという検察官の考えも反映してか、本来精神科医療に求められるべき範囲を越えて医療にゆだねられるケースがあり、不起訴後検察官通報から精神保健福祉法による鑑定を経て強制入院に至っても、早期に退院したり、逆に長期の在院を余儀なくさせられることもあるといわれます。

一方責任能力を認められ起訴されたケースで、有罪判決後受刑中に精神症状をあらわす場合がありますが、現在の刑務所医療はきわめて不十分であり、受刑者が必要な精神科医療を受ける機会を与えられない場合もあります。こうした刑務所医療の改善を抜きに精神障害者の犯罪と刑罰について語ることはできません。

さて以上のような重要な課題を横に置きながら成立し施行された医療観察法は大きな問題をいくつもかかえています。

まず精神障害者は犯罪率が高いという偏見(この誤りについては政府も認めています)に重ねて、精神障害者は前記6つの重罪についての再犯率が高いという誤解を広めたことです。また精神障害者の再犯の予測は可能であるというウソを押し通したことです。再犯予測については、審議の過程で専門的な立場からの批判を受けて、「再犯の防止」を「病状に伴う同様の行為の再発を防止する」に変えましたが、本質的にはなんら変わりありません。また、再犯の可能性を「再犯のリスクが高い」といいかえても、それは必然的に擬陽性(そうではないのに、誤って将来同様の行為をすると判断する)の危険性と偽陰性の可能性を認めることになります。これはこの法の基本的な問題点です。

またこの法が、精神障害者の犯罪を防止したいとしても、その大半を占める初犯にはまったく無効であるこというまでもありません。

法はその目的を「治療」と社会復帰に置いていますが、はたしてこの法による指定医療機関でなければ実施できないような、犯罪をおかした精神障害者に対する特別な治療技法があるでしょうか。今のところ施設の人員を手厚くするということ以外には特別のことは示されていません。

精神科病院などの一般の精神医療を低い水準(医師数は一般科の1/3でよいとするなど)に留めておきながら、治安的な施設の建設と運営には大きな予算を投入するというという政府の考えは納得できません。

さて、法が成立してから施行までの2年間に指定医療機関の整備は遅々として進みませんでした。候補とされた医療機関が受け入れに抵抗を示し、また地域住民の反対運動が強かったからです。

重装備の建築設備を備えた指定医療機関はその整備が遅れて、政府が予定した24カ所にははるかに届かず全国に10箇所(2007年7月現在)。入院決定になると、指定医療機関が少ない現在は、住居地からはるかに離れた地にある医療機関に入院させられます。退院して地域につなぐことの困難が予測されます。 この他にもさまざまな問題が指摘されています。こうした法の施行と運用の現状について情報を交換することもこのホームページの課題になります。


注:(*1)病院・地域精神医学47巻4号(2004年)平田豊明 本文に戻る

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