医療観察法.NET

家族の立場から

家族がみる医療観察法

大野素子(精神科ユーザー家族)
2007年6月

はじめに

家族にとって、地域で暮らすための精神医療と福祉サービスの抜本的改善が無く、「精神病者監護法」以来この約100年の「収容」という歪められた歴史がいまだ本質的に変わっていないという痛切な実感を持ちながら暮らしている。入院しても、退院しても当事者と家族は社会的な支援に支えられているという安心感をもって暮らすことはほとんどできない。
  触法行為にいたってしまった後のための法律が強行採決までされて急いで成立するのか、国の目的は精神障害者のためではない。精神障害者の触法行為があることは事実だが、とりわけ日本では問題の根は深く社会の病であり社会がもたらした不幸だといえる。 医療観察法(以下観察法とする)の強行採決によって「精神病者監護法」以来の歪められた歴史が再び身近にのしかかってくるのではないかという不安は現実のものとなった。

 

1.医療観察法施行の背景とそのもたらすこと

池田小学校事件を契機に提案成立した観察法施行の目指すものは精神医療と福祉を改善するものなのではなく、健常者のために社会を守ることを掲げる「収容」であることは誰もが指摘してきたとおりだ。
  観察法施行によって当事者も家族も孤立して入院以外に社会的支援がほとんどない家族依存の今の情況にますます拍車をかけ、本質的な問題には手をつけず「収容」で解決しようとする事実が次々に明らかになった。
  観察法の成立のもたらすものあるいは国の目指すところは国の財政配分を見れば明らかだ。
  強行採決の年の地域の社会復帰施設整備費の削減分がちょうど観察法のための施設費と同じ金額であったこと、法人税減税はしても一般市民に対する増税と社会保障費削減に伴う負担の強制、自立支援法による障害者と家族までも含んだ家族依存の負担増など、家族を含めた生存権を揺るがすものに後退したことなどがそれだ。
  医療と福祉を後退させる「収容」という国施策の大きな逆流は現実のものとなり、地域で当事者とともに暮らす家族を窮地に追い込んでいる。病や障害を持つことにより、経済的な暮らしの面でもより格差の中の貧困をおしつけられることとなった。
  経済的な問題を抱えまた地域の支援の少ない当事者と家族の抱える日常はとてもすさんでいる。
  地域の通所施設は今でも良質な支援を受けるために選択可能なほど潤沢にはない。住まいとしてのグループホームもまだ充実しているとはいえない。経済的な問題を抱え、地域の偏見にひっそりと暮らす高齢家族と行き場のない当事者との同居生活は、一速触発のさまざまな家庭内の問題をはらむ。
  精神の病の問題の根底の大部分には所得保障のない「貧困」という生存権を脅かす経済的な問題が横たわっている。
  今、格差社会の現実が姿を現してきているが、病をもつことによって、所得保障のない暮らしを強いられることから、本人と家族の確執、閉塞感はわれわれには身近な問題となった。小泉政権以来一般国民には冷徹な「骨太の方針」という「経済構造改革」、「新自由主義」は、強健な競争を強いると同時に、病者や弱者にまで増税と負担を課し、医療と福祉サービスの削減を押し付け、病をもつことで当事者のみならず家族を巻き込む生存権の危うさに拍車がかけることになった。安倍政権になりさらに「新自由主義」「再チャレンジ」などということがもてはやされる時代のなかでは、病を持つことがいっそうひどく惨めになるいやな時代になった。
  一方医療技術の面からだけだとしても高度先端医療が陽の当たるところだとすれば、精神医療は抗精神病薬に新薬が登場してもまだ多剤大量投与が見直されるどころか新薬を含め多剤大量投与は見直されていない寒々しい日陰だ。つらい副作用で医療中断による再発も珍しくない。入院や服薬でかえって心の傷を受けることすらある。
  あちこちの精神科病院は明るく立て替えられてはいるが、ハードウェアは充実しても、少ない人手でまかなおうとする精神科病院は「新しい収容」の形すら見え隠れしている。コメディカルスタッフによるチーム医療はさほど充実していないし、任意入院者ですら多くが閉鎖病棟入院とされ、精神医療の本質は日陰で寒々しく「安心できる医療」というにはまだ程遠い。
  観察法は病を持った人を人として大切にするどころか、精神医療と福祉を見直すことなく、病をもった国民を財政的にも逼迫させ、また競争に打ち勝てない社会の邪魔者という差別、偏見の助長といったところでも窮地に追いやる国の方針を手伝っていることは明らかだ。
  病気を持ったひとたちと家族が暮らしの中にこれほどの多くの問題を抱えているにもかかわらず、観察法施設の重装備と人手には手厚く金をかけるという。観察法を強行採決までして成立させる時代の中で精神の病は「社会の病」との二重に重なりよりその辛さを増したといえる。
  病だけでなく「社会の病」にまでさいなまれなくてはならない人たちを地域社会から見放し「収容」などで人として回復することは不可能だ。重装備の施設を用意することは更なる偏見を地域に植え付ける。
  病は薬や入院だけで解決することはできないし、「収容」でなく地域に開放され、迎え入れられる安心できる場でしか回復できない。
  私たちは「社会の病」の根源を洗い直し、病を持つ人たちが安心して病とともに暮らして行けるようにする施策こそを望む。

 

2.観察法を改善できるか

観察法では措置入院に比べると「鑑定入院」「合議体による審判」など回復につなぐまでのプロセスはより長く複雑になった。心神喪失状態に追い込まれたときこそいかに迅速に良質な医療を受け、回復することができるかはこれも生存権に関わる問題だ。
  ただ、いかに迅速に医療につながったとしても前述したとおり、今の精神医療が安心できる「医」としての専門技術すら危うく、特別な観察法の医療などあるはずがないというのが実感だ。心神喪失状態に追い込まれるまでの日常の精神医療がこれほど寒々しいのに、観察法のための特別な手厚い医療がにわかに作り上げられるはずがない。いまだに急性期に受けた行動制限や処遇で心の傷を負うことのある医療は人権を無視した「虐待」ですらある。このことが検証され、早急に見直しがなされなくては観察法の新たな医療など生まれるはずがない。
  地域支援の貧困な入院中心主義の日本の歪められた精神医療の歴史は多くの精神科医自ら認めるところであって、この歪みに手をつけると日本の精神医療は崩壊するとの述懐を聞くにつけ、地域で在宅の病者を支える家族の実感としても歪んだ歴史を引きずったまま、観察法に基づく特別な精神医療は存在するはずがないと思う。 病者とともに暮らしてきた家族として非常に懸念するのは観察法施設内での医療や処遇のありかたに対する責任をもった心ある検証がないことだ。しかし、果たして法による社会復帰調整官任せで内部検証は可能なのだろうか。観察法施設内のもろもろは個人情報だの守秘義務だのという大義名分で闇の中だ。医療という重大な公的な場所に情報公開の義務はないだろうか。
  「ケア会議」によって処遇方針の統一を図るとされるが、国の財政事情を理由にさまざまな地域支援がやせ細る今の地域の受け入れの限界を前提にして果たして、「ケア会議」が機能するのかは問題だ。
  また大阪府では「検討会」として、第三者も交えた情報開示、検討の場を提案しているが実質この半年は機能していないと聞く。どこをとっても機能不全がもれ聞こえるなか、いったい施設の中では何が起こっているのか闇の中だ。
  少ない人手、薬で何でも解決する精神医療の現状から推測されるのは、施設内での抗精神病薬の大量投与、理不尽な行動制限、電気けいれん療法の安易な復活などが心配される。
  もともと地域の精神病院でいまだ実質精神科特例法並みの人手、あるいはそれ以下であることも珍しくなく、精神科医師、スタッフ不足が叫ばれるなかで、少ない精神科医が観察法に関わる複雑で特別な業務を請け負うことになるなら、地域の精神医療はますます貧困になるばかりだ。今ある精神医療そのものの水準を引き上げることが何よりも優先されなくてはならない。
  観察法条文を照らすと、第2章「審判」に関わる第24条事実の取調べのさい、心神喪失状態にあり治療を必要とする「対象者」が意見を述べる場も設けられているが、本人の力は弱い。また保護者の精神的負担、精神医療に精通した付添い人を選任依頼する力などには限界があり、「合議体」を構成する司法、医師(精神保健審判員を除く)に太刀打ちすることは極めて難しい。観察法はもともと「対象者」が「法」に圧倒される仕組みを組み込んでいる。はたまた、家族が良心的な付添い人を依頼することに奔走しなくてはならないとなると、家族の役割は一層重くなる。
  さらに第2節「入院または通院」は「対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するため・・・」をもって決定されるとされる。精神障害を改善することに以上に「同等の行為を行うことなく」とされることは「合議体」精神科医、司法関係者に「再犯の恐れ」を基準に判断させることになる。「対象者」とされるひとにとって必要な基準は、通常の入院通院者と同じく適切な医療を受けること、退院後どれだけ地域で支える信頼できる人と場を作るかだけである。今まだ地域でも貧しい支援者、本人たちの居場所の確保の難しさ、そして遅れた精神医療、福祉制度が続く限り観察法は「再犯の恐れ」のある人を予防的に無期限拘禁するものにしかならない。
  観察法を改善するより、廃案として、観察法に注がれる財源分はもちろんそれ以上に財源を配分し、依然として家族が肩代わりせざるを得ない所得保障を含めた福祉制度の充実、薬で何でも解決する、人手の少ない病院や医療への入院依存の精神医療あり方の本質的な改革が必要だ。精神医療保健福祉を自己責任にするのでなく、重大な社会保障の問題として位置づけることが優先だ。

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