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心神喪失者等医療観察法の施行延期に関する意見書

2005年6月17日
日本弁護士連合会

第1意見の趣旨

当連合会は、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察に関する法律」(以下「医療観察法」と略称する。)が予定する医療機関の確実な整備を実現するために不可欠な措置がとられ、且つ、鑑定入院中の対象者の医療、処遇及び救済手続について議論を尽くし、対象者の人権を擁護するために必要な立法措置がとられるまで、2005年7月に予定されている医療観察法の施行を延期することを求める。

第2意見の理由

1. 医療観察法が予定する指定医療機関の整備が遅れていること

(1)医療観察法が求める高い医療水準と医療施設及び体制
 
医療観察法は、2003年7月16日に公布され、公布後2年以内に政令で定める日に施行されることとされている(附則第1条本文)。
  同法第81条第1項は、裁判所によって入院決定または通院決定を受けた対象者に対して、厚生労働大臣が、「その精神障害の特性に応じ、円滑な社会復帰を促進するために必要な医療を行わなければならない」と規定しており、医療観察法に基づく医療は、厚生労働大臣から委託を受けた指定医療機関において、一般の精神病院に比べて、手厚い専門的な医療が行われるべきことを要請している。指定入院医療機関においては、医師、看護師等を手厚く配置し、医師等による専門的な精神療法を頻繁に行うとともに、作業療法などを通じた社会復帰に関する評価を行うなど高度な医療が提供されることが予定されている。
  このことは、医療観察法の国会審議において、以下のとおり、政府委員から繰り返し答弁されているところである。
  第155回臨時国会における衆議院法務委員会(2002年12月3日)において、政府参考人として出席した上田茂厚生労働省社会・援護局保険福祉部長は、「本制度において、国の責任において指定医療機関で行う医療は、患者の精神障害の特性に応じ、その円滑な社会復帰を促進するために必要な医療であります。例えば、指定入院医療機関においては、厚生労働大臣が定める基準に基づき、医療関係者の配置を手厚くすることなどにより、医療施設や設備が十分に整った病棟において高度な技術を持つ多くのスタッフが頻繁な評価や治療を実施するものであります。また、医療費についても、患者本人が負担することなく全額を国が負担することとされており、一般の医療機関に比べ、手厚い精神医療を行うものであります。さらに、附則第3条第1項の修正案に示されていますように、本制度は、最新の司法精神医学の知見を踏まえた専門的なものとすることとしており、例えば、欧米諸国の司法精神医療機関で広く実施されている精神療法を導入するなど、高度かつ専門的な精神療法を行うこととしております。」と答弁している。
  厚生労働省は、このように、(1)本制度において、国の責任において指定医療機関で行う医療は、患者の精神障害の特性に応じ、その円滑な社会復帰を促進するために必要な医療であること、そのために、(2)医療関係者の配置を手厚くすること(法第16条第1項に基づく厚生労働省令)、(3)十分なスペースが確保された医療施設や設備が十分に整った病棟とすること、(4)高度な技術を持つ多くのスタッフが頻繁な評価や治療を実施すること、(5)附則第3条第1項のとおり、本制度を最新の司法精神医学の知見を踏まえた専門的なものとすることとし、例えば、欧米諸国の司法精神医療機関で広く実施されている精神療法を導入するなど、高度かつ専門的な精神療法を行うこと、(6)それにより、一般の医療機関や措置入院に比べ、手厚い精神医療を行うことを繰り返し明言してきた。
(2)大幅に遅れている指定医療機関の整備
 ところが、医療観察法の施行を間近に控えて、同法の施行のために不可欠であるべき指定医療機関の整備が大幅に遅れていることが明らかになっている。
  厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部は、2005年1月19日に開催した全国厚生労働関係部局長会議で配布した資料において、対象者を受け入れる指定入院医療機関について、「現時点では確実な整備見通しが立っていない状況であり、このままでは施行後に見込まれる対象者への対応ができず、制度の破綻をきたし、社会的に極めて大きな問題となると懸念される」ことを明らかにした。
  その後の新聞報道によると、現時点で使用可能な病棟は武蔵病院と花巻病院(北陸病院は着工しているが未完成)の2ヶ所(合計66床のみ)だけである。この現状のまま医療観察法が施行されると、厚生労働省の新規入院対象者予測によればわずか2.6ヶ月で指定入院医療機関は満室となってしまう。
  これを回避するための方策として、既存の病棟で「代用」するなどという、異例の施行前に医療観察法の改正をすることが準備されていると、朝日新聞は報じた(2005年3月27日付朝刊)。
 厚生労働省は2005年8月26日、「医療観察法施行令の一部を改正する政令等に関する意見募集」を発表した。ここで、厚生労働省は、朝日新聞の報道が指摘した「法改正」を行うことなく、省令の改正によって医療観察法の根幹に位置する「手厚い医療」を提供するべき「指定入院医療機関・指定通院医療機関」の設置基準を定める方法をとることを表明している。
  また、国会での審議において厚生労働省が説明し、法成立後に縷々明らかにしてきた指定入院医療機関の規模と設備を満たさないいわゆる「代用」案としての「小規模病床」を容認するというのである。そして、小規模病床においては、「作業療法室、集団療法室等については、安全管理体制確保ができれば同一病棟内で設置できなくとも可能」とするなど、予定した施設の整備が進まないことを背景に、施行段階から「代用」で間に合わせようとしている。
(3)許し難い「代用入院医療機関」
 このような指定入院医療機関の「代用」を認める省令案を厚生労働省自らが制定しようとしていることは、指定入院医療機関において高水準の手厚い医療が提供されると繰り返し説明してきた政府答弁を真っ向から踏みにじるものである。「手厚い医療」を確保するという国会審議段階での説明に対して、その基礎を揺るがしかねない「代用」案を、国会審議にも付さない省令において実施しようとすることは法律の省令による潜脱であり妥当ではない。
  当連合会は、医療観察法それ自体に強く反対してきたのであるが、医療観察法によって新たに付添人業務が開始されることから、2004年10月15日、当連合会から全国の各弁護士会に「心神喪失者等医療観察法における付添人業務の取り組みについて(報告と依頼)」を発し、「付添人選任手続の円滑化と付添人業務の適正化をはかり、もって、対象者の人権を擁護し、医療観察法の目的とする社会復帰を促進するため」(同文書)、全国の各弁護士会で医療観察法付添人業務研修を行うなどの取り組みを進めてきた。
  現在、各弁護士会は、対応する地方裁判所等との協議を行っているが、医療観察法関連施設の整備がなされていないことなどから、いまだに円滑、且つ、充実した施行が行えるのかについて、裁判所も確信がもちえていない状況が示されるなど、他の法令施行前の準備状況にはおよそ見られない異常な事態が次々と明らかになっている。また、指定入院医療機関の整備の遅れのみならず、前記厚生労働省の資料においては、鑑定入院中に行うべき「医療内容の範囲や求められる基準など基本的な部分について法務省及び最高裁判所と合意に至っておらず、大幅に作業が遅れている状況にある」ことも指摘されている。
  当連合会は、医療観察法が対象者の人権に重大な影響を及ぼす法律であることに鑑み、「代用」医療機関の省令化という妥当でない方法によりなされようとしている医療観察法の施行に反対し、同法が予定する手厚い医療を実施するために必要な指定医療機関が整備されるまで、医療観察法の施行を延期することを強く求めるものである。

2. 鑑定入院中の医療及び処遇に関する法的根拠の欠如

(1)鑑定入院命令に関する規定の不備
 
医療観察法第34条第1項は、同法による医療を受けさせる必要が明らかにないと認められる場合を除き、裁判官は、鑑定その他の医療的観察のため、当該対象者を入院させ、在院させる旨命じなければならないと規定し、この入院期間は原則2ヶ月(同条第3項)とされ、必要があると認めるときは通じて1ヶ月を超えない範囲で延長できるとされる(同項但書)。
  しかし、「鑑定」に必要な身体拘束の期間は一般に2週間あれば足りると、精神科医によって指摘されているにもかかわらず、鑑定入院期間が2ヶ月もしくは3ヶ月もの間の在院を命ずるとしていることは、実質的な必要性も根拠もない身体拘束の継続である。
  また、鑑定入院中の医療及び行動制限をともなう処遇については、医療観察法自体には何ら規定がなく、精神保健福祉法の適用も除外されている結果(精神保健福祉法第44条第2項)、何の法的規定も存在していない。
  医療観察法の救済手続中には、鑑定入院命令の取り消しもしくは変更を求める準抗告しか規定されておらず、鑑定入院中の医療及び行動制限につき是正・救済する手続規定は規定されていない。
  何らの救済手続の規定もないまま、対象者の同意に基づかない医療及び行動制限という人権に対する重大な制約を行うことは許されない。
(2)厚生労働省が示す見解は、憲法第31条の適正手続に違反する
 この点につき、厚生労働省は、2005年3月24日付けで、社会・援護局障害保健福祉部精神保健福祉課長名による各都道府県、指定都市の精神保健福祉主管部局長宛てに「医療観察法に基づく鑑定入院医療機関の推薦依頼について」を発している。
 その中で、鑑定入院中の医療の提供について同意がある場合には、鑑定入院受け入れ病院の医師は「『鑑定その他医療的観察』という鑑定入院の目的に反するものでない限り」これを行うことができ、同意がない場合であっても「『鑑定その他医療的観察』のために必要と考えられる医療」については行うことができるとしている。また、鑑定入院中の行動制限については、「鑑定を命ぜられた医師や鑑定入院医療機関の医師の判断により、このような『鑑定その他医療的観察』のために必要と考えられる行動制限については、仮に当該対象者の同意がない場合であってもこれを行うことができる」との見解が示されている。
  厚生労働省が示した見解は、鑑定入院中の対象者が、何の基準もないまま、現場の医師の判断に委ねられ、適正手続保障がない状態に置かれることを、逆に明らかにしていると言わざるを得ない。
  そもそも、刑事手続における鑑定留置においては、鑑定留置された被告人に対し、合理的な範囲で、生活環境の設定、行動観察、医学的検査を行うことができるとされているが、これを行うことができる主体はあくまでも鑑定人であるのに対して、医療観察法の鑑定入院においては、鑑定入院中の者の意思にかかわらず、法的根拠なく、その医療及び処遇が入院中の病院の医師の判断に委ねられてしまうのである。
  このような医療観察法のもとでは、鑑定入院中の者は、適正手続が全く保障されない状態に置かれているといわねばならない。
(3)このままでは医療現場に混乱をもたらし、対象者にも適切な治療ができないこと
 以上のとおり、厚生労働省の通知で示された見解によると、鑑定入院を引き受ける医療機関の担当医や、鑑定を担当する医師にとっては、何の法的根拠も基準もなしに「鑑定その他医療的観察」の必要性に関する判断を委ねられることになるが、それでは、鑑定入院現場での混乱を招くであろう。
  鑑定入院中の医療と処遇に関して、その権限と責任の帰属につきこれほどあいまいな手続が裁判所関与のもとで行なわれることは、極めて問題である。さらに、対象者に対する必要かつ適切な医療の確保には、程遠いものにならざるを得ない。
 鑑定入院命令を受けた対象者は、心神喪失等の状態で重大な事件を起こしたとして検察官から医療観察法に基づく申立てを受けた対象者であり、とりわけ不起訴処分を受けた後に申立てをされた対象者にとっては、「急性期における治療」が必要とされることが予想される。
  ところが、現行の医療観察法によると、対象者がそのような治療を受ける法的根拠も基準も規定されていないために、「急性期における治療」を受けられる保障がないのである。
  その結果、対象者は、鑑定入院中に、「急性期における治療」を受けられないまま、本法に基づく治療を強制されなければならないことになる。
  上記のような医療観察法の矛盾を放置したまま、同法を施行することは許されない。
(4)まとめ
 したがって、当連合会は、鑑定入院中の対象者に対する医療、処遇及び救済手続等に関する規定が不備のまま医療観察法は施行されるべきではないと考える。少なくとも、鑑定入院中の医療と処遇の基準を明確化するとともに、対象者の権利救済手続の創設等について議論を尽くし、対象者の人権を擁護するために必要な立法措置がとられるまで医療観察法の施行を延期することを求める。

3. 結論

よって、当連合会は、国会審議を無視して厚生労働省令によって指定入院医療機関の「代用」を容認すること、及び、憲法第31条違反の疑いがある鑑定入院中の医療、行動制限及び救済手続の法的根拠が欠如したままで、医療観察法の施行を強行することには強く反対するとともに、法が予定する医療機関の確実な整備を実現するために不可欠な措置がとられ、且つ、鑑定入院中の医療、行動制限及び救済手続について議論を尽くし、対象者の人権を擁護するために必要な立法措置がとられるまで、同法付則第1条の「公布の日から起算して2年を超えない範囲内」とある施行期日の定めを「4年を超えない範囲内」に改め、2005年7月に予定されている医療観察法の施行を延期することを求める。

以上


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