医療観察法.NET

障害は社会のほうにある Part1

障害を楽しく生きよう トーク&ライブ 講演録

八尋光秀(弁護士)
2008年3月

スライド1

はじめに

こんにちは。京都駅に降りてタクシーに乗りますといくつものお寺さんがすぐ目の前に。いかにも宗教のお時間という感覚に包まれました。たまに京都を巡ることがあります。ただこのところは京都駅前で仕事を済ませてそのまま新幹線に乗るという寂しいことが多くなっています。久しぶりに市内に入り、お寺さんが多くて、静謐とでも言う感慨を持ちました。

今日の話は少しスピリチュアルな、神懸かり的な話に聞こえるところが入ります。けれども、人間は最もスピリッチュアルな動物です。予定調和ばかりを追い求める社会を横において、未定調和というか、非予定調和の話しを是非聞いていただきたいと思います。

それに、今日は早坂紗知さん、Mingaの皆さん、そしておおたか静流さん、こういった方々をゲストにお呼びして、この会を盛り上げていただきます。なんて素晴らしいこと。そして皆さん方の手元にもあるパンフレット。私はこんなに素晴らしいパンフレットというのは障害者と呼ばれる方々を元気付ける会合では初めてです。一生の宝物にしたいと思います。この素晴らしいパンフレットを作っていただいた方、なにより私をこの時、この場所に呼んでいただいた実行委員会の方々に、そしてここにお集まりの方々に心から感謝とお礼を申し上げたいと思います。

今日は本当にありがとうございます。

スライド1、私の話は「 障害は社会のほうにある 」というお題をいただきました。また今日のテーマ「障害を楽しく生きる」にも答えまして「人生を私達にも楽しませてよ」というめあてでお話をさせていただきます。

話自体は苦しかった事とか、いろいろな重々しい話があります。でも、テーマに沿ってできるだけ楽しく語ろうと思います。

 

 

社会からの隔離

私の弁護士としての仕事のひとつは、精神科病院に入院させられた方々から面会に来てくれという電話がありましたら、行ってお話を聞くことです。例外なく退院したい、と言われます。それを受けて私が退院のお手伝いをするということです。

先日、熊本県まで行って参りました。熊本県の町から少し離れた精神科の病院に入院させられた方から面会に来て欲しいという事でした。熊本県にも弁護士が沢山いますが、なかなか来てくれないということで、私が県境を越えて行きました。

そのお方はもう5年も入院させられたままになっている、出たいんだけど・・・という相談です。これまで退院請求して駄目だったのでしょう、またもう少しして退院請求しましょうか。そんな話をします。

このような面会で多くの入院を強いられた人たちと話をします。この時のこの人は「先生、私は結婚をして退院したいのです」こう言われました。「5年近くも入院していてどうして結婚できるのですか」と、私は素直に問いかけます。「実は、NHKの朝ドラのヒロインの○○さん(これは私に知識がないために記憶できませんでした。)が私に結婚を承諾するというサインを送っている」と言われます。その前は地方局のアナウンサーだったな。もっとその前は、自宅近くのスーパーのレジ打ちの娘さんだったなと思い返します。この方は、医療保護入院です。保護者は母親で、退院には反対。そこで、結婚をして、保護者を妻にかえて退院をするという彼にとって合目的な目標があります。「ああ、そう。それはそれで良いけれども病院の中ではあんまり言わない方が良いね。あなたも分かると思うけど、普通の人はなかなか信用してくれないし、病状があると言ってまた入院を続けさせる理由にされるよ」「そうですね。でもあの子は必ず私と結婚してくれる」。こういう話をします。私はそれを受けて、妄想とか、幻聴とか自分でも少しは分かるのでしょうという話につなげます。私の方の例え話として「あなたは、松坂慶子という女優さんを知っている。あの女優さんが僕と結婚したいと思っているんだ。そう僕があなたに言ったら、あなたはどう思う」などと聞きます。「それは結構おかしいっすよね、はっはっはっ、信用しませんよ」こういう会話を交わしています。その病院に入院させられている他の患者さんも、会ってくれといわれる方がおられました。その方には知的な障害があるとされ、知的障害者の施設で暴力を受けて、そこから逃げ出した。「逃げ出した時に妄想と幻聴が入りました」と自分で説明をされる。それでももう1年以上も入院をさせられているとのこと。彼に「どんな妄想?どんな幻聴を聴いたの?どんな事? 」こういう風に聞くと「その時は怖くて怖くて、殺せと言う幻聴だったと思うのです」と。私は「それは物騒だね」と言いますと「本当に物騒ですよね」と。「どうせ幻聴を聞くのだったら、やっぱりかわいいタレントさんが“好きよ”とささやくような幻聴を聞いた方が良いよね」と言いますと「そりゃそうですね。幻聴も楽しい方が良いですよね」こういう会話をし、「退院請求をしようね」とも言って、病院を後にしました。

スライド2

スライド2、そういう患者さんたちがまず入れられるのが保護室です。今ではすでに取り壊された精神科病院の保護室です。ついこの間まで使われていたちょっと古いタイプの保護室です。ここには入院させられた方が最初に放り込まれて、こういう閉じ込める所があるのだぞということを分からせて、そして恐れさせて、病院内での服従を強いることを多くの精神科病院が行ってきました。

入れられた患者さんたちは、例外なく、怒りや憎しみや復讐心、そして絶望を強いられてきました。この写真の真ん中に「バカ」と読める文字が書かれています。入れられた方が自分の指でこの鉄扉の塗装を剥いでは描いたものです。そういう背景を持つ言葉がここに刻み込まれています。ここを出発点にする精神科医療は間違いだと私は言います。どんな理由があっても、医療というものは患者さんの人としての尊厳を守る、その一点に尽きると。

でも、こういう所が必要不可欠なんだとお医者さんや医療のスタッフの方々は言われます。このような「隔離のないところから始める」そうでなければ精神科医療が医療と呼べる日は来ない、と私は答えます。

 

ハンセン病療養所

スライド3

このスライド3は沖縄の宮古島です。海の真ん中に白いラインがあります。これは珊瑚礁のリーフです。宮古島のこのきれいな風景の中に、ハンセン病療養所があります。宮古南静園と呼びます。

スライド4

スライド4これはその宮古南静園を巡る海岸の崖です。この宮古南静園というハンセン病療養所は海に向かった絶壁の外に建てられた療養所です。つまり自然の壁が高く周りを取り囲み、それ以外は海に面している、そういう全景です。この浜は、生まれ育った島からこの療養所に収容されたある少年が、夜、自殺しようと思って、波にさらわれるのを待って横たわった、その砂浜でもあります。多くの患者さんたちが死のうと思って、あるいは絶望の中で星空を見上げたその砂浜です。私もここには何度も行きます。夜の星はとてもきれいです。

スライド5

次のスライド5はその南静園の住居部分です。今住む人は少なくなりました。ハンセン病療養所の1つの特徴は子どもの声がないことです。そのほか猥雑で、煩わしいというものはありません。ハンセン病療養所では、子どもを産む事も育てる事も禁じられた、そして一生を隔離する。そういう政策の下で運営をされました。

スライド6

スライド6、これは教会です。ハンセン病療養所は国立の敷地の中に建つ国立の施設です。国立の施設の中に、教会があります。実は、教会だけではありません。お寺さんもあります。著明な宗教の祭祀施設は揃っているというのがハンセン病療養所の特徴です。

国は患者の人生そのものをここに隔離して、そしてその命の絆までも奪いました。その象徴がこの優生政策であり、この宗教施設です。

スライド7

スライド7、これは霊安棟です。亡くなられた患者さんのご遺体をここに一時安置する所。私が始めて宮古南静園に行った時はこんなに綺麗なものじゃなくて、木造の遺体安置所でした。

スライド8

スライド8は納骨堂です。あるハンセン病療養所の患者さんの作品に、「まーだだよ、骨になっても、まーだだよ」という句があります。社会からはじき飛ばされて、ハンセン病療養所に入れられた。いつになったら出られるのか。「まーだだよ」「今日でなければ明日出たいんだ」「だめ」「来年、再来年、10年、20年、30年」そう出たいと願っても社会は出してくれない。「まーだだよ」そして骨になる。骨になっても、この療養所からは出る事ができない。ハンセン病療養所には火葬場も納骨堂もある。私達の社会はハンセン病の患者さんたちの火葬ですら社会の中ですることを許しませんでした。療養所の中で、しかも職員が看取るのではなくて、患者たちの仲間が看取る。その仲間だけで火葬する。仲間だけが弔う。友人も知人も家族も来ない。そういった生の終わりを続けさせました。

冒頭に出しました保護室。何人の人があの場所で命を失ったことか。私の依頼人はあそこで1人寂しく命を失いました。そういう現実があるということを知っていただきたいのです。私は患者隔離というのは単なる隔離ではない。交通を遮断し、行きたい所に行かせないということにとどまらない。町には出さない、単に移動の自由を奪うという事ではない。人間の移動の自由を奪うということは、その人の人生を奪うことになる。そう主張しています。そして、いかに大きな医療利益であろうとも、人間の人生利益に勝ることはない。だから、医療利益の名の下に患者隔離を許してはならないと。

スライド9

スライド9、これはある患者さんの後ろ姿です。子どももいない、家族もいない。そして1人寂しく死んでいく。それが患者隔離の行く末です。ハンセン病患者をこのような療養所に収容し隔離し続ける法律と政策を、私たちの社会が始めてもう100年になります。

私達の国がハンセン病の患者さん達に行ったこういう非人道的な扱いは、行政を誠実に追行したお役人が、そしてなにより療養所職員の人達が悪意でしたことではなくて、私たちがその人達を私達の代理として、私達1人1人の意志を実現する為の手足として使っておこなったことだということを、私たち自身が認めなければならない。私はそう思います。

私はハンセン病療養所の話をする時に、療養所で働いている人達を責めるためにしているのではない、精神科病院のことを話すときに、その病院職員の人達を非難するために話をしているのではありません。その人達は、わたしたちの社会を、私達ひとりひとりを代理して仕事されています。そしてさせているのは紛れもない私達だ、と言うことを訴えたいのです。

 

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主催 障害を楽しく生きよう トーク&ライブ実行委員会
※文中の写真は資料提供者からの了解をえて掲載しています。

参考リンク
   あるべき姿―精神科医療改革として
   障害者の権利に関する条約 概要

 

 

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