医療観察法.NET

障害は社会のほうにある Part2

障害を楽しく生きよう トーク&ライブ 講演録

八尋光秀(弁護士)
2008年3月

授産施設ビエント

スライド10

スライド10は私が関与しているビエントというパン屋さんです。精神科ユーザーの人達の授産施設です。これをつくる時の説明会では公民館が満員になりました、毎回です。20回ぐらい地域説明会をしましたが、すべて満員。立ち見も出ました。たとえば「精神障害者の人権について考えよう」と言うテーマで講演会をしますと、だいたい3割ぐらいの入りです。3割のうちの半分以上は関係者の方。ところが町に精神障害者の授産施設を作ると言うことになりますと、常に満員です。私の町に精神障害者の施設などとんでもないと反対される方々がいつもの参加者の3倍ぐらい連れ立たれて詰めかけてこられます。私は絶好のチャンスということで、満員のお運びありがとうございますと言いながら説明会でお話しさせていただきます。反対される皆さん方は「もっと静かで空気の良い所にそういった施設を出したほうがいいんじゃないんですか、病気なんでしょ」とそう言われます。「何で私達の町に作らなくちゃいけないのですか。ここは学校に子ども達が通う登下校の経路です。やめてください」「八尋弁護士は私たちのことを人権も理解しない、情けも分からない冷たい人間だという風にお話しになる。けれども、私は八尋弁護士の話はよく分かりました。差別はいけない事もよく理解できました。人権が大切だと私も思います。でも怖いんです。感情がどうしようもないのです。この怖いという感情をどうしたらいいのですか」また「今ここに来ているユーザーの人達は本当にいい人だと思います。おとなしいし、ちゃんとされているし、でも怖いんです」そう言う。さらには「地価が下がる。お店にお客さんが来なくなって、食べては行けなくなる。私たちの生活はどうしてくれるのですか」そんな話になります。

スライド11

スライド11、これはビエント1周年記念のお祭りです。開業して1年経ちますと町の人達も結構来てくれます。反対しておられる人もまだいらっしゃいますけれど、段々少なくなります。そのうち自分たちの町にこういうお店があることを少し誇りに感じるようになります。差別とか偏見とかいうものは法律や国や公共団体の政策、そして私達の常識が、「障害者」はこの町においてはいけない、遠くにやろう、そういう扱いをする、そのことから始まります。近くに住む人達がここに集うようになると差別や偏見がいつの間にか薄れていきます。

スライド12

スライド12、これは仲間です。精神科ユーザーの仲間です。このハリのある表情を皆さん見て、心に留めてください。私達の中にある偏見や差別、それは理屈の問題、理解がない、事情を知らない、そういったことだけではありません。私達の感情であり、美意識であり、常識や道徳心、信仰心や良心、学問的な立場、そして政治的な信条、何よりも私達1人1人が持っている正義感だとか、平和の情景、平和らしさ、あるいは自由への憧れ、そういったすべての心象にも差別や偏見は根付いて蔓延すると思います。だから、私たちの町のど真ん中にこそ、ユーザーの居場所が必要なのです。

 

グループホーム夢の木

スライド13

スライド13、これはびわ湖です。びわ湖畔の北比良町という所に夢の木というグループホームがあります。ここも仲間の居場所があります。3年前に呼ばれていきました。湖西線に乗って舞子まで行きます。

スライド14

スライド14、この方々は、精神科ユーザーのグループホーム夢の木の周年記念事業を支えていただいている実行委員の方々です。町の人たちです。町の人たちが準備を手伝い、参加もし、当日こうして大正琴の演奏をされています。こんなことをしてくれる所が、こんな町が日本にあるのかと、びっくりいたしました。今では町をあげて支援する所も少しずつですが増えてきています。ハンセン病の患者さんが長いことハンセンの療養所にいて、意を決して町にこっそり社会復帰を一時期された方がおられました。その方に聞いた事があります。「社会復帰といって社会で生活してみてどうでしたか。何が一番嬉しかったですか」と聞きました。「町内会費を払うのが嬉しかった。町の人が町内会費をとりに来られる。その町費を自分で払う。この時にすごく自分は嬉しかった。また、ご苦労さんと言って新聞を受け取る。町の食堂に入って、ラーメンくださいと言ってはラーメンを食べる。映画館に入ってはやりの映画を観る。一緒に社会復帰した連れ合いとデパートにスカートを買いに行く。買わなくても見るだけで楽しい。そんな思い出が社会に出たことのあかし。それこそがかけがえのない、唯一の勲章みたいなもの」と。そう話されました。

スライド15

スライド15、これは町の人達が、野村太鼓というのですが、太鼓を毎年やってくれています。この町の人たちがたたく太鼓というのはただ音を伝えるだけではなくて、精神科ユーザーの人達とともに、仲間としてともにあるという心意気を伝える気持ちが、音となって精神科ユーザーの人たちを本当に勇気づけています。

京都の皆さん、夢の木を是非応援してください。

 

グループホームダルク

次は私が一緒に仲間とやっています、ダルクです。ダルクというのは薬物依存症者のための回復施設です。自助グループといいまして、施設長をはじめ全てのスタッフは「リカバード」です。リカバードと言うのは回復者という意味ですが、今薬を止めている人という言うことです。

スライド16

スライド16、これはダルクのミーティングの始まりに使うものです。ダルクでは平安の祈りというものをします。「神様、私にお与えください。変えられるものを変えていく勇気を。変えられないものを受け入れる落ち着きを。そしてその2つを正しく分かつ賢さを」こういうセリフで始めます。神様という言い方をするのですけれど、ハイヤーパワーとも言い換えます。特定の宗教ではなくて、自分自身にとっての神であったり、自分自身を委ね預ける事ができる何らかの存在。そして自分は薬物依存症であって、薬物に対して無力である。他人もまた無力である。そういう出発点を作ります。

スライド17

スライド17、これはダルクミーティングをしている所です。薬物依存症は精神障害のひとつと言われています。分かりやすくいうと語弊もあるかと思いますが、空っぽに感じる自分の魂を薬物で埋めようとする欲求にとらわれる。魂の器が空っぽだと常時感じ、渇望感に追い立てられ、その渇望感を、薬であったり、色んなもので埋めようとします。これは到底埋められるものではない。魂の器ですから、薬や物を入れても満足することにはならないのですが、それを何とか満たそうとする。そういった自分の置かれているその状態を、自分1人では乗り越えることができない。もちろんお医者さんも乗り越えさせることはできない。病院に居ても治りません。刑務所に行っても治らない。仲間と共に自分が薬物依存症であると認めて、そして仲間と共に自分は無力であると認めて、そして仲間と共に偽りのない言葉によって、魂の霊的な交わりをする。そういう日常によって、いつもは気がつかない心や魂の在り処を考え、そして高めていくという作業です。人間としての魂の霊的な成長と回復を図る。それがダルクミーティングです。言葉で言うとそうなりますが、見ているとただダラダラしているようにしか見えなません。役所の人は「これは作業とは言えません」と必ず言う。私は「これが作業です。ダルクの作業はダルクミーティングです」と言いますが、役所の人は「これは作業じゃない。作業というのは賃金が出るようなものだ」と言われます。

スライド18

スライド18は、ダルクのバースデイです。真ん中の男が施設長で彼のバースデイです。ちょっと人相は悪いですけど、心はかわいいです。ダルクのバースデイというのはしらふで生きる、つまり薬を止めてから始まります。1週間、1月、1年、3年、5年、7年。と今日一日を積み重ねていきます。そのバースデイです。施設長のバースデイを祝いながら「先行く仲間の背中を見て」回復の道を歩みます。

仲間の中にいると錯乱の時もある程度落ち着きます。薬が入ってダルクに出てこない仲間がいると、ちょっと見に行こうとなります。1年ぐらい薬を止めて社会に出た時に危ない状況です。薬への欲求もありますし、自分がそれまで薬物で暮らしてきたその時間というもの、それは社会的には何もない揮発していたものになるようです。彼らが言うのは、「薬を止めて1年になるんですけど、その空白感、それはとても厳しいです。どういうことかと言うと、小学校6年時の運動会。かけっこのよーいドンのドンが鳴って自分は横に寝転んだみたいだと。同級生はみんな1周を回りきって、卒業して中学生になって高校生になって、大学に行って社会人になっている。でも、自分は今、薬を止めてみて、戻ったところは小学校の運動会のスタートラインなんです」と。薬物依存症の仲間は、薬を断って回復の道を歩くとき、いつもそういう絶望的な状況の中に置かれます。そこで自殺したり、スリップという薬の再使用をします。そういう状況で自分のアパートで薬を使い始めます。ほぼ錯乱の状態になりますが、外から仲間が声をかけます。「おい、どうしてる。大丈夫か。病院に連れて行ってあげようか」と。これに対して「もうちょっと待ってください。もう1回してから」と答える。仲間は笑って「たいがいで出てこいよ」「わかりました」とかやり取りしながら、保護して病院へつなぎます。その時に暴言を吐かれたり、侮辱されたり、あるいは暴力を受ければきちんと覚えています。錯乱の中でも仲間同士であれば、ある程度において意思疎通ができます。私もそういう錯乱の中にあり、あるいはブラックアウトしている子どもと話したりすることもあります。丁寧に、尊厳を保つように工夫して対応すれば、後になって、信頼を築くことになります。

スライド19

スライド19、これは叱りつけてるのではありません。ピアカウンセリングをしています。この写真は叱りつけているみたいだから、ピアカウンセリングには見えないのだけど。顔がそんななので、しょうがないです。誤解のないように。ダルクというのは強制も命令もありません。暴力も支配もない。そういうグループホームであり共同作業所です。あるのは愛と尊敬と信頼だけです。ないのはお金。いつもお金がない。必要なものは必ず続けられるという、根拠の無い妄想の中で運営を続けています。

日常的にピアカウンセリングをするというのが仲間と一緒にいるということです。仲間たちは自分のスポンサーというものをつくります。相談相手です。お金の相談相手ではありません。同じ薬物中毒の先輩。先行く仲間で、1番自分と気持ちの合う人。その人に困った時には相談します。医師とか弁護士とかに相談する内容とは全く違う課題を相談します。自分が薬を使いたいとか、薬を止め続けるためにはどうしたら良いかとかをスポンサーに相談します。

仲間との居場所を作る、それが回復への第一歩となります。

 

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主催 障害を楽しく生きよう トーク&ライブ実行委員会
※文中の写真は資料提供者からの了解をえて掲載しています。

参考リンク
   あるべき姿―精神科医療改革として
   障害者の権利に関する条約 概要

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