医療観察法.NET

法の実態と欠陥

八尋光秀(弁護士)
2008年5月
抄録の分はこちらへ

1 理念はどのように考えればいいのでしょうか。


私たちは、この法律と制度の理念を、どのように考えればよいのでしょうか。
社会防衛のための強制処分でしょうか。
社会治安のための強制入院でしょうか。
対象者に対する代替刑罰でしょうか。
そうではありません。

この法律と制度の理念が、仮にその様なものであるとすれば、憲法に違反することになります。

治安を目的とし、あるいは刑罰を代替してなされるなら、強制入院決定や強制通院処分は、「精神障害者」だけを対象にした特種な裁判所による不利益処分であり、公権力に基づく強制的な身柄拘束そのものに違いありません。

それは、憲法が禁じる特別裁判所による差別的な刑罰であり、適正な手続を欠く不利益な義務設定にあたります。
見直しの理念もまた、当然のこと、社会防衛や治安あるいは代替刑罰であってはなりません。

この法律と制度の目的は、すべての対象者ひとりひとりを社会復帰に導くこと。
対象者への、社会復帰のための、どこまでも利益処分としての、医療であり、福祉であり、生活支援だと定めています。

その理念は、対象者ひとりひとりが社会の中で尊厳ある個人としてふさわしい人間回復をはかること。

ですから、なされるべきは、すべからく対象者の個性であり独自性を尊重した、きめ細やかで、人間の温もりをもった、決定であり、処分であり、医療であり、福祉であり、生活支援であり、社会環境調整でなければなりません。

それは、対象者が人間回復を図るために必要な「社会」の側に対する創造的な施策であることを意味します。

加えて、この法律と制度は、「重大な犯罪に該当する対象行為を行った精神障害者」を社会の共通の敵とみなすものではありませんし、ましてや「精神障害者」と呼ばれる人たちを忌み嫌い、遠ざけ、排除することを促進するためのものではありません。

いわゆる「地域精神科医療」を営むことについて、私たちの社会は、なんと数十年もの遅れをとってきました。
国は、この法律と制度の導入にあたり、「地域精神科医療」を実践するにふさわしい「社会」へと変えることを約束しました。
「精神障害者」と呼ばれている人たちの誰もが自らの町にいながら自らにふさわしい人生を送ることができるようにと。
そのために不可欠な条件整備として、社会資源の質も量も飛躍的に増大させると。

このことは、今、私たちが「精神障害者」と呼んで押し込めている隔離施設の出口を広げ、地域にはいくつもの多様な居場所を準備し、仲間とともに安心して暮らすことのできる社会。
「精神障害者」に対する侮辱やからかい、暴力や虐待、差別や偏見、孤立や貧困のない社会。
「精神障害者」がたった一人絶望の中で息を潜めなくても暮らしてゆける地域へと変革すること。
これらのことによって、はじめてこの法律と制度は存在意義を有しうるのだと、国もまたそう説明してきました。
見直しに際し、この理念は、さらに目標を高く掲げなければならないでしょう。

理念にふさわしい、法律であり、制度であり、運用であったか。
理念を実現することが可能な法律であり制度足りえたか。
さらには、どのような見直しをすれば、理念をより高く達成できるのか、ということに議論は尽きると思います。

 

2 理念を達成するためになにが足りないのでしょうか。


今日ここにお集まりの皆さん。
医師であり、看護士であり、福祉士であり、心理士であり、保護観察官であり、法律家であって、この制度を担う方々です。
わたしたちが、なすべきことをなさずに、補うべきことを補わず、準備すべきことを怠った。
そうでしょうか。

それぞれの方々には、反省すべき点がないわけではなく、改善できることが少なからずあったことと思います。しかし、皆さんは、専門職としての良心に従い、誠実に仕事をされてきたと信じます。

新たな「司法精神医学」を学び研鑽してきました。 医師や看護士として、公正で中立な鑑定や審判に努め、必要な治療を提供し、援助し、他機関との連携を図ってきました。
心理士として、対象者の社会適応に関わる教育や援助を行いました。
社会復帰調整官として社会生活環境の整備をしてきました。
いずれの方々も的確にできうる限りの活動を行ってこられたものと思います。

なにより、対象者の人生そのものに直に大きく深く関わる人間として、対象者の命のぬくもりや心の息遣いに責任の重さを自覚しながら、誇りをもって仕事に取り組んでこられたのだと思います。

そうであるからこそ、ここにこうしてお集まりになられて、この制度の現状と問題点を探り、よりよい見直しを検討されようとしておられる。

参考にしなければならないことがあります。
ちょうど100年前に私たちの国で行われたことです。
私たちは、らい予防法を制定し、「患者隔離政策」を始めました。

そしてこの間、私たちの社会は、ハンセン病療養所において、未曾有の深刻極まる人権侵害を行い、幾多の人間の命と人生を踏みにじり、夥しい数の「人生被害」を、強いてきました。

その現場で、医師であり、看護士であり、事務職であり、そのほか公務についた人たちはどのように仕事をしてきたのでしょうか。 底意地の悪い悪意を持ってあるいは不誠実に不真面目に仕事を行ってきたのでしょうか。そうではありません。

この方々は自らの誇りと信条にしたがって、入所者のために最良と思われることに、全力を尽くしてこられました。

ただしかし、残念なことに、それは、社会に生きる私たちの誤った差別意識や偏見を励行したものでした。
それゆえ、その誠実なはずの仕事が、幾万人の命と人生を根元からへし折ってしまいました。

「出口のない患者隔離」
これは必ずしも施設やそこに働く人たちによって維持されるのではありません。
むしろ居場所のない「地域」、居場所を作ろうとしない「社会」によってこそもたらされ、強化されます。

患者が患者のまま、社会にあって、孤立することなく、暴力やからかいに曝されることなく、安全に安心して仲間とともに治療を受け、暮らすことのできる居場所があれば、「人生被害」をもたらすことはありません。
そのような居場所をもたない地域、地域に居場所を作らない社会こそが、隔離施設の出口を硬く閉ざし、出口のない収容を続けさせました。  
私たちはこのことの意味を深く理解しなければなりません。

患者隔離にあっては、取り組まれる医療であり福祉であり社会生活支援がいかに「誠実」に全うされようが、その意味は逆転します。

そもそも医療や福祉や生活支援は人間の「人生利益」に奉仕するものです。
しかし、「患者隔離」にあっては、患者の「人生利益」を犠牲にしなければ、医療や福祉や生活支援は実践されません。
医療、福祉、生活支援の実践がその人のかけがえのない人生を蝕み、取り返しのつかない「人生被害」をもたらすことになるのです。

 

3 理念を実現するために私たちはなにをなすべきでしょうか。


私たちは、専門職として、様々な持ち場にあって、理念を見失ってはなりません。

理念が見えなくなったときには、勇気を出して、歩みを止め、高みに上り、視野を広げ、霧が晴れることを待ち、理念をもう一度見いだし、理念との距離や方向を計り、正しい道筋を求め、確認しながら、またはじめなければならないと思います。  

そのうえで、私たちのこの実践が、地域における社会環境整備と「基本的な依存関係」にあることを、自覚しなければなりません。

地域に居場所をつくらない社会の現状に無関心のまま、あるいは消極的な態度で、自らの専門職に収斂することは、それがいかに「誠実」になされても、否、「誠実」になされればなされるほどに、大きな過ちを繰り返すことになる。
これこそ、誤ったハンセン病政策が、私たちに、歴史的事実として示す教訓です。

可能な限り早期の退院が目指されなければなりませんし、強制的な義務付けの解除もまた速やかに行われなければなりません。
そのための地域における居場所の飛躍的拡大は必要不可欠です。
もちろん誤った社会認識の是正もまた必ず成し遂げられなければなりません。
しかも、これらは一刻の猶予も許されない課題です。

さらに、私たちは、これらの課題が、憲法上の要請に基づくことを知らなければなりません。

私たちの国で立ち遅れ続けてきた居場所整備。
「地域精神科医療」のための基礎となる社会資源の絶対的な窮乏。
「精神障害者」への誤った社会認識の作出と助長。
通院および社会生活環境などにかかる準備と技術の致命的な不足。

私たちは、このような事態が、多くの「人生被害」を作り出すことを忘れてはなりません。

これらはすべて、この法律と制度の根幹に直接かかわる、しかもその憲法的な正当性をも損ないうる、もっとも重要な課題であることを繰り返し強調したいと思います。

 

4 望みをどこに求めればいいのでしょうか。


もう一度、ハンセン病政策の歴史をたどって見ましょう。
らい予防法と政策の始まりは1907年です。
その始まりにあっては、らい病は「伝染病ではあるもののペストやコレラと異なり急激な伝染病ではなく伝染力も強くない」とされ、その理念は「浮浪徘徊する患者の救護のための措置」と説明されました。
さらには、らい療養所は、「市街地への距離が遠くない交通利便な土地を選んで設置すること」とされ島嶼隔離を否定していました。 その趣旨は、いうまでもなく、社会からの隔離を最小限にすることでした。

しかし、そのうち、伝染のおそれがあるなしにかかわらず、すべてのらい患者を収容するようになり、治っている患者も収容し、またし続けることになりました。
社会不安をかきたてれば、新たな政策を通しやすい。 強制的な権力行使を容認し、これを前提にすれば、国家予算を取りやすい。

そういう思いで、関わった人たちは、らい病は危険な伝染病である、だから強制隔離が必要だ。そういう誤った宣伝に便乗し、これを増長させました。

遠く離れた山里や、離島にらい療養所を設置し、あえて交通を遮断し、消毒し、排除し、強制隔離のためと言って施策を増やし、予算を拡大させて、療養所は自己肥大を続けていきました。

その肥大し続けた療養所の中で、未曾有の人権侵害を繰り返し、幾万の人間の命と人生を奪ってきました。

医務局長を務められた大谷藤郎氏は、後に、
療養所の中にあっては、入所者の自由と幸福を最大限に図るために、法律の「弾力的運用」をし、政府に対しては、らい患者に対する「強制収容」を盾に園内の福祉施策を充実させ、必要な予算を取りつづけた。
このことを、心から反省すると総括されました。

「弾力的運用と言っても、園の中だけのことで社会はなにも変えられなかった」「結果的に囲いの中での生活を強いることになった」と。 患者隔離の違憲性、違法性を問う法廷で、そう御証言されました。

社会では「らい患者を野放しにするな」の合唱が続いていました。
公務員であり、医師であり、看護士である専門職は、その「野放しにするな」という誤った社会認識の忠実な手足として、働き続けました。
そしてこの働きは、らいという病気への誤った怖さ酷さをさらに植えつけました。

その結果、「らい患者を野放しにするな」という一部の合唱を国民的な大合唱へとさらに大きなものにしていきました。

同じ様に、いま私たちの社会で、人間を「精神障害者」と呼んで「野放しにするな」「何をするか分からない」「危ない、怖い、役に立たない」という心ない声の繰り返しが聞こえてきてはいませんでしょうか。

私たちのこの法律と制度が、この心ない声を大合唱へとさらに大きく確実なものにすることがあってはならない。

私たちは、私たちが辿ってきた、ハンセン病政策の過ちの歴史を正しく検証し、「精神障害者」と呼ばれる人たちが、町にいて、地域の中で、安心して暮らせ、治療を受けられる社会へと一日も早く導かなければなりません。

いまこそ、この理念に従って、新しい希望の道筋を見出すべき時が来たと思います。

皆様の一層のご活躍を心より祈念いたしまして、私の提題を終わりたいと思います。

以上

 

2008年5月17日 第4回司法精神医学会大会 シンポジュウム1「医療観察法の見直しに向けて」指定発言


 

 

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