医療観察法対象者インタビュー Part1
2008年11月
医療観察法.NET制作委員会
2008年7月、医療観察法の対象者として手続きを進められた3名の対象者が、日弁連に対して、医療観察法の手続きにおいて人権侵害を受け、また、現に受けているとして、救済申立を行った。この3名の対象者の内、2名の当事者(Aさん)と家族(Aさんの母親、Bさんの母親)から、お話しを聞く機会が持てた。
Aさんは対象行為(傷害)をしたということで逮捕勾留され、検察官の入通院命令の申立を 受け、医療観察法の手続の中で、東京・小平市にある武蔵病院に入院させられ、後で高等裁判所が入院の必要はないということ取り消しになり、C市に戻り、そ こで、通院決定を受け、指定通院医療機関に通院させられており、現在も毎月7日程度の「見守り」がなされている。
Bさんは、対象行為(強制わいせつ)をしたということで逮捕勾留され、検察官の入通院命 令の申立を受け、医療観察法の手続にかけられたが、医療観察法による指定入院・通院医療機関での強制医療は不要とされたものの、申立後、鑑定入院命令がな されて3ヶ月間鑑定入院される被害を被った。現在は、従前からかかっていたクリニックに通院している。
対象者、その家族のインタビューを通じて、医療観察法が適用された対象者に対して、さし て重大犯罪とは言えない対象事件を契機して、従前の治療環境とは断絶した強制医療が開始されることや、例え、通院決定になっても負担は大きいものであること、誤った判断がなされたことに対する救済措置が全くないことなど、医療観察法による人権侵害が浮き彫りになったと思う。
池原 こちらにいらっしゃるのはAさんとそのお母さんです。北海道のC市から来ていただいています。Aさんは医療観察法という法律で、東京の小平にある武蔵病院に入院させられ、後に高等裁判所が入院の必要はないという事で取り消しになり、C市に戻られた方です。
そして、こちらはBさんです。東京の方です。息子さんがやはり1度逮捕されて、医療観察法適用にはならなかったんですが、鑑定入院というのをさせられて、3ヶ月間鑑定入院になって、被害を被った。
今回は BさんとAさんともう1人別の方、3人で日弁連に人権救済を申し立てたんです。事件前に通院歴があり、診断として統合失調があったとしても、どうって事なく、ごく普通に生活していた人がちょっとトラブルに巻き込まれた時に、医療観察法を申し立てられ、「あーだこーだ」言われた揚げ句に、「ごめんなさいね、入院しなくて良かったです」って戻されるという所が共通しています。
ただAさんの場合は、まだ通院処遇というのが残っています。自分でお医者さんを選べない。Bさんの場合は医療観察法にならなかったので、元のお医者さんに戻れました。そこはちょっと違います。
医療観察法なんて言うと、殺人だとか放火だとかという事を、何も分からないでやったんじゃないのか、というイメージが強いかもしれないですね。実際は全然そういうものではないということを皆さんに分かってもらいたいですね。Aさんは元々ピアノの演奏がとっても 好きで上手だったり、人に聞かせたりもし、とても平和な生活をしていたんですよね。
プロフィールの紹介を簡単にお願いできますか?
趣味はピアノ、猫との平和な暮らし・・・・・
Aさん母 小学校も中学校も別に普通に。幼い頃は虫にしか興味がなくて、虫とばっかりずっと遊んでいて、高校はE高を卒業しました。
高校でも中学でも、私に刃向かってきたりとか、そういう事は一切なかった。反抗期はなくて、「何で反抗しないの」と1回聞いたら、「そんな気になれへん」とか言ったり、そんな風に穏やかに育ちました。
ピアノは高校2年生の時にどうしても習いたいと言って。 私の知りあいで優秀な先生がいるので、その人に一年半習って、あとは自力でずっと毎日ピアノの練習をしている。
猫が好きで、猫3匹を大事に飼って、自分の食費を削って猫の餌をやって暮らしている日々です。この人の場合は友達の輪とか、俗世間には全く興味がなく、飲みに行ったりとか、遊びに行ったりとかがなくて、ただ、家で自分の好きな事をして暮らしているんです。誰にも迷惑をかけないで。
そして異性にも興味がなくって、今までもそんなトラブルとかそういった気配とかは29歳にもなって1回もない。ただ倖田來未が好きなだけで、それ以外は何も無い。
今度2回目のピアノコンサートをやるんです。前回は去年の11月。これが好評だったので。それで今は一日に8時間ぐらい練習しているんですけど、頭の中はピアノしかないんです。会場を借りて、三十何人ぐらい集まって、十五、六曲弾くんですけど。
池原 ジャンルはどんな?。
Aさん本人 ほとんどクラシック。ショパンとバッハとベートーベンを主に。
作業所に通って、就労準備もしていたのに・・・・・
池原 それでは次に、Bさんの事を伺いましょう。息子さんは大学を卒業まで行ったんでしたっけ。
Bさん 行きました。就職も努力したんですけど、厳しかった。
池原 大学は法学部に行かれたんですか。
Bさん そうなんです。弁護士さんになろうと。一生懸命がんばって、とんでもない夢でしたが。
池原 高校から大学にかけては、本当に優秀で。
Bさん 本当にAさんもおっしゃったように反抗期ってのが無かったんです。反抗期がある方が良いと言いますよね。そんな事分からないから、反抗しないから良いわ、なんて思ってたりしてました。今でも本当にいい子なんです。
池原 人を押しのけたりとかそういうタイプじゃないんですね。大学卒業されたあたりで少し具合が悪くなりましたか?
Bさん 在学中に。それでもお医者さんにかかって薬も飲んで、ちゃんと良い成績で卒業できたんですけど、あの子が就職する頃は本当に大変な時期だったんです。勤めが辛かったんじゃないですか。夜寝るのも遅かったり。
池原 ご本人の年齢は?
Bさん 今、50歳です。
池原 Aさんのお母さんと同じぐらいの年ですね。
Bさん その間、ずっと後遺症を負ってたんです。
池原 今の普段の生活は?
Bさん 普段の生活も何も問題なかったんですけど。寂しさがあったんじゃないかなと思ってます。
池原 作業所でも凄い評判が良いですよね。アメリカにも行ったことがあるんでしたっけ。
Bさん 行きましたよ。ヨーロッパにも行ったり。東京都の患者会の代表で行って帰ってきて、広い講堂で発表したり、あの頃は楽しみだったもんですから。
池原 お仕事では障害者福祉センターみたいなところの受け付けをされていたんですよね。
Bさん 随分長い間やっていました。だけどその内、障害者じゃなくて高齢者を使わなきゃ、ということで、辞めて現在の作業所へ。
とにかく真面目ですから、休むと言うのは嫌で、キチッといく。お薬さえ飲んでいればね、問題がなかった。
池原 事件当時もキチッと通院、服薬はできていたという風にお聞きしておりますが、
Bさん 薬はちゃんと飲んだみたい。薬飲まないとって、薬を絶対手離さない。
池原 お父さんが亡くなられてましたね。(事件の少し前に父上が他界されている※編集註)
Bさん この先どうしようって、自分なりに考えたんじゃないですか。死んですぐです。
事件後全てが終わったはずが、ある日突然の出頭命令、拘留
池原 失礼ですが、お母様の年齢は幾つでいらっしゃいますか?
Bさん 今年80歳になりました。事件のとき、医療観察法のことは何も知らなかったんですよ。警察では取り調べのあと帰っても良いと言われて、その日の内に帰って、「もう大丈夫ですから」と言われて、ほっとしていたんですよ。「ああ、よかったね」って言っていたら、何ヶ月もあとに急にそういうこと(観察法適用の審判をするから、鑑定入院をと。※編集註)に。
池原 ご本人も患者会に出ていて、お母さん自身も家族会に出ておられて、観察法のことはご存知なかった?
Bさん 観察法ってこの頃できたんでしょ? 私は地域で家族会作りしたりしてきましたが、今はもう年だから若い人に任せて、あんまり口出しする事なく、そんな事は勉強してなかったんです。それでびっくりして。
池原 それが、年が明けて検察庁から「出てきてください」と言われて、びっくりなさったわけですね。
Bさん なんだろうと思って、「何で?」と言うと、「来ないと迎えにきますよ」なんて言われましたから。住んでるところにパトカーで来られたら嫌ですから、行ったんです。その時も、私が「何ですか?」と言ったら、「もう結構ですから。これで終わりです」と言われて帰ったんです。それでほっとしたら、また電話が掛かってきて。
池原 今度は翌月になって、医療観察法ですよという話に。
Bさん そうなんですよ。観察法とか何も言われなかったです、最初は。鑑定医の先生が「大丈夫だ」とおっしゃったんだと思ったんです。良いと言われたし、私たちが帰る時に送ってくださって、「もう結構ですから、これで終わりです。全部終わりましたから」と言ったのに、それが、また「出てこい」。
弁護士さんにその時にお願いしたんです。弁護士はいなくてもいいからと言われたんですが、1人じゃ心細いから、お願いしました。先生は障害者にご理解のある先生で、家族会の時から知ってました。電話したら引き受けてくださって、それでお願いした。私1人じゃ、女でしょ、年寄りでしょ、何もできません。裁判所なんて言われただけで怖かったですよ。何を言われるか分からない、一体何されるのか。
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